ゲイジュツ!なんだかんだ… (hatena ver.)

美術,音楽,写真&グルメ。ゲイジュツと思えば何でもアリ!

「南画ってなんだ?!」展@兵庫県立美術館

(以前の続きです。忘れてるかもしれませんが・・・)

兵庫県立美術館 「村上華岳・水越松南生誕120年記念
南画って何だ?! 近代の南画- 日本のこころと美」
4/22(火)~6/8(日) [前期:4/22~5/18, 後期:5/20~6/8]

 



(写真は展覧会カタログ)
今回の出品作家は・・・池大雅与謝蕪村、浦上玉堂、富岡鉄斎今村紫紅、土田麦僊、小野竹喬、橋本関雪、萬鉄五郎、安井曾太郎梅原龍三郎村上華岳、水越松南 等々。約70作家、合計約190点(前期/後期作品展示替)。
この美術館では珍しく「日本画」の展覧会。
数年前にも日本画...「東山魁夷 ひとすじの道」展が開催されましたが、それ以来のこと。
しかも今回はほとんどが掛軸や屏風の作品。
江戸時代の作品がこの展示室にこんなにたくさん並ぶなんて、なんだか不思議だけど、
この展覧会の企画に合わせてあちこちから集めてきたもの。そして江戸~近代までの流れがわかるんですね~。

 


水越松南《化粧》1931年 、京都国立近代美術館
この図は、水越松南の《化粧》。水辺のキツネさん、ちょっとスマシ顔で、どこかお出掛け?
風景などの多い南画から、いきなりキツネですよ!

 


水越松南《化粧》部分1931年 京都国立近代美術館
上の図のきつねさんの拡大図。蓮の葉を傘にして、草花で飾ってオシャレやね~!(マンガみたいって?)

 

2008年は兵庫県ゆかりの画家、村上華岳(むらかみかがく・1888-1939)と水越松南(みずこししょうなん・1888-1985)の生誕120年にあたります。
村上華岳は、墨を基調とした独特の表現で精神性の高い作品を描きました。また水越松南は異色の南画家とも称され、従来の南画の枠にとらわれない自由で独創性あふれる作品で知られています。彼らはその人生においても、作風においても全く異なる道をたどりましたが、華岳の思索的な制作態度から生まれる作品は南画と並び称され、自由な精神による創作を重んじた松南は、南画に新しい息吹を与えました。
この展覧会では、この両画家の画業を顕彰するとともに、彼らの創作に共通する「南画」という絵画領域に着目し。その歴史と展開を追い、南画の中に流れる日本人の自然観と美意識を探ろうとするものです。
(カタログチラシより部分引用)

 

-※-※-※
「南画」の様相・美に対する精神性って、時代によって変わっていくのですね。
江戸時代と近代ではかなり雰囲気も違います。

 

江戸期には四季の山水図、中国故事から題材を得た図案など。
徐々に工夫を凝らした構図や、画題、色彩などに画家の個性があらわれてきます。
(画家名にはそれぞれ解説がついています。)

 

そして、富岡鉄斎(1836-1924)の登場。89歳の長寿!この頃まだ描いていたというのだから~
スゴいパワー。1924年の大晦日に亡くなったとか。
年代によって作風が変わり、面白いです。
この頃は、もう大正時代。
彼の影響を受けた近代の画家は数多いのです。

 

その鉄斎の影響を受けたという、異色の南画家が「水越松南」。
彼の作品では「額装」も増えて、大きな画面に自由奔放な画題で描いています。
それ以前の南画での風景描写作品から、ユーモアあふれる松南の画題!
鶴やキツネ、トラにうさぎにカッパや鹿etc...。人間ももちろん登場。外国人も描いている!
松南の描く動物たち、人物たちは実に生き生きとしています。動物たちの表情にはついつい見入ってしまいますね。
個性豊かで独特の世界を持つ水越松南。全然知らずに見に来た人でも楽しめる作品でしょう。

 

続いて「村上華岳」。
こちらは松南とは違い、墨を基調に静かな心象の絵画を残しています。
仏画など良く知られているのではないでしょうか。
この展覧会では京都の風景などの作品も出ています。(5月中旬に作品の展示替えがあるので少し変わるかも?)
華岳の作品展示の一角は、何だか「空気が違う」感じがします。
墨一色の作品ですが、その一筆一線に迫力? オーラを感じるというのか・・・!?
まぁ、観てください。

 

この同い年の二人は、見事に全く違う作風。
同じ兵庫ゆかりの、同い年の二人の作風を観くらべてみるのもまた良いかも。
(展示の順番を参考に、先に水越松南について書きました)



☆南画って・・・?

手持ちのモノで簡単に調べてみると、以下のような感じかな?。
(全然まとまってません!間違ってたらゴメンナサイ。)

 

江戸時代の中期以後、琳派(たとえば尾形光琳など)以上に、画壇を占有したのが「文人画」というジャンル。もとは中国の文人画のことであり、これが享保年間以降に日本の画人により解釈された際、本来のいわゆる中国での文人画とは異なったものになった(注1)。
日本での文人画...という意味で、中国の南宗画を略して「南画」という語が使用されるようになったといわれる。
様式としての南画の初期を代表する画人としては、祗園南海(ぎおんなんかい・1677-1751)、柳沢淇園(やなぎさわきえん・1703-58)、彭城百川(さかきひゃくせん・1697-1752)などが挙げられる。
淇園にその才能を認められたのが池大雅(いけのたいが/いけ たいが・1723-76)。他に与謝蕪村(よさぶそん)ほか、初期の南画の画人たちは数多い。

 

江戸中期以後、独自の展開を遂げた南画であったが、明治中期にはフェノロサ岡倉天心らによる文人画批判により衰退する。
こののち、再び評価されはじめた明治~大正期の新進画家による作品群のことを「新南画」、「南画的新傾向」と呼んだという(注2)。
江戸時代とは異なり、近代の若い画家たちは海外留学などによって西洋の感覚を持ち、その作風は今までにない新たな傾向へと進むのであった。これにより、かつての南画とは違う新しいジャンルとして「新南画」と称されたのである。これらの背景には西洋の芸術思潮の影響があり、この傾向は橋本関雪や土田麦僊など京都の画家にもあらわれた。

 

南画200年間の発展と各時代の展開を見てみると、時代ごとの特徴はもちろん、南画がいかに情感豊かに日本の姿を表現してきたかがうかがえるだろう。

 

(注1)中国の文人画に特定の様式があったわけではないが、「南宗画」という描法を使う人が多く、これは柔らかな線で即興的に、その時の瞬発力で描くようなスタイルのものであった。プロの画家ではない文人にも描きやすいという意味とだぶって、文人画=南宗画的なもの、と認識されるようになったと考えられている。
(注2)日本美術史では近代における新南画の部分を単に「南画の再評価」等と表現する場合もある。

 

=======
☆また、展覧会カタログの各論文では「南画の定義」や「新南画」について、また「洋画との関連」等について、さらに詳しく述べているので参照されたい。





※主な参考文献(順不同)
辻惟雄 監修『日本美術史』(4章「江戸中・後期」狩野博幸、5章「近代」田中日佐夫) 美術出版社 1991年
☆『芸術新潮』2001年2月号「与謝蕪村特集」新潮社 2001年
☆『芸術新潮』2002年9月号「富岡鉄斎特集」新潮社 2002年
☆『南画って何だ?!』展覧会カタログ 兵庫県立美術館 2008年
☆『南画って何だ?!』展覧会チラシ 兵庫県立美術館 2008年
☆『水越松南展』展覧会カタログ 姫路市立美術館 2005年

©2014 HALNA Creative Room.